2021311 ~あれから10年~

いつかの自分

これからの自分

此処を見てくれた

いつかの誰かに

何かを残せると信じて

言葉以上のものを

言葉の限界も

わかった上で書きます。




10年前の今日、

関東ではありますが

被災地でした。

今まで経験したことのない

強い揺れを感じ

生死を意識するレベルの

恐怖を超えて

本当に起こっているのか

現実の世界なのかと

言葉では表せない経験をしました。

目の前に広がる光景も、

ニュースで見た地獄のような映像も、

爆発で風圧が窓にまで届いた瞬間も、

まるで地球全体が

ぐにゃぐにゃしてしまったんじゃないかと

思うほどの地面で酔った気持ち悪さも、

あの時の街の人々の声も。

音も、天気も、空も、匂いも。

10年も前とは思えないくらいに

あの日の事を鮮明に覚えています。


もしかしたら

10年前のあの日、

そしてそれによって

その後に経験したもの

見たもの出会いや交流に

まで含めて


「覚えている」

より

「刻まれてる」

のかもしれない。



これは昨年にも

全く同じ事を

書いたと思いますが、

震災から数か月後、

「生まれ育った場所の今を

俺に見て欲しい。」と

東北の友人から連絡が来て

行った地で目の当たりにした

光景、出来事は

今でも忘れられないし

俺の中の

価値観や考え方を

大きく変えました。


それによって出来た

出会いや繋がりもあった。

今のバンドでも

その時の東北の人達との交流やご縁も

未だにあって

その影響も大きく活動に影響しています。


俺自身も

その時の東北での

出会いや繋がりが出来て

実際にこの目で、

この耳で、

この体で

見て

聞いて

出来事を経験して。


その時の経験と

東北の人達との約束が、

今の俺自身が

やってるバンドにも影響していて

俺個人がこういう

活動している出来ている、

理由や活力の

大きな一つであることは

間違いないです。

そして、10年後の今年。

昨年から続く

コロナ渦の中、

それに影響を受けながら

今やっているバンドの

1st EP CDを出しました。


そのCDの

バックインレイ(中面)のデザインは

俺らのバンドの中で

バラードながら

一番の人気曲。

東日本大震災の経験

それによって起こった

数年後のストーリー

によって出来た

とても大切な曲。

そのCDのリード曲。

その曲の

シングルジャケット

にしました。


そこに全ての

想いと感謝を詰めました。


※その曲に触れてる感情的なまま書いた2年前の今日のブログもあるので気になる方は↓のリンクから



そして、

昨年コロナ渦前から

お世話になっている

運営が

俺ら以外に

新しい新人バンドを

運営面で面倒見る事に

なりました。


所謂、

直属の後輩が

出来ました。


昨年からなので、

タイミング悪く

予定通りにも

思い通りにも

出来てないですが


その後輩バンドの中の

メンバーの子は


当時、

色々覚悟持ってる人達、

当時のバンドメンバーとか

賛同して来たいと

手を挙げてくれた人達と

物資とアコギだけ持って

東北被災地に向かった時の

娯楽もない避難所の

邪魔にならない片隅で

アコギを弾いてた時、

楽しそうに歌っていた

あの日の少年。



言葉以上に

言葉に出来ないもの


こんな小さな

無力な俺でも

何に寄り添えてたかな。



こうして

過去も

これからも

変わらぬ想いと

経験と出来事を

俺なりに

風化させず

伝えれる事や場所が

あれば

人として

そうして行こうと

思ってます。


10年後も

俺はこうして

色々なもんに

抗って

ギターを担いでるから。






2011年3月11日、

東日本大震災から

10年が経ちました。


東日本大震災により、

犠牲になられた方々の

ご冥福をお祈りしますと共に

被災された方々に

心よりお見舞い申し上げます。


今なお大変な状況にいる方々、

復興のために

ご尽力されている方々に

深く敬意を表します。

一日も早い復興を

心よりお祈り申し上げます。


馨-kei-