ご報告とお詫び
母から珍しく昼間に着信。
出てみると知らない男の人から
「○○さんのご家族の方でお間違えないですか?
倒れてたので ○○の○○病院まで来れますか?」
後にわかるのはその人は救急車で搬送した救急隊員だった。
その時の様態は数分後には
変わってるかもしれないから
下手な事は言えないのも
最低限の事実だけを伝えるのは
わかるけど、
今振り返るとマジでやめてほしい。
過去、何度も経験してきた
思い出したくない
色んな人との最後の日の
あの感覚が
驚愕と不安や恐怖と焦燥が
極度の緊張と
体の中でのごちゃごちゃ暴れて
夏の日差しや暑さがやばい時に
血の気が引いて寒気するような
じんわりだけど止まる事なく
滲み出てくる汗の様に
とても不快で
居心地悪すぎて出来たら
何も感じない無の世界に
行けるなら消えたいと、
どうしようもない事を
思うくらいには大嫌いな
重たい蓋を何枚も重ねて
奥の奥に閉まってたモノ。
いきなりそれがやってきて
その中に飲み込まれてる感覚。
多分自分の内側では、
そんな状態で
色々考えながら、
その時、出先だった
その場近くに運よく近くにいた
タクシーに飛び乗った。
どちらかと言えば、
石橋を叩いて渡るタイプ。
てか、
超・石橋を叩いて渡るタイプだ。
選択を迫られる時、
その時の状況で
一番最悪のパターンが
頭がよぎるし、
一番最悪なパターンを
想定した立ち回りを
テンパりながら
無意識にしてるくらい
染み込んでる。
なんなら、へんなところで
くっそ繊細で悪く言えば
慎重すぎる臆病すぎる
そんな感じ。
だから、
自分の内側はそんな状態でも
多分どこかである種
面食らった部分もあったけど
それとは別に、
本当に近い関係の人には
タクシー車内で連絡。
いい大人だから
当たり前だけども、
どこか冷静になって
やるべき最低限な事の
立ち回りが出来る自分にも
今だから振り返ると
何か矛盾を感じるけど。
そんな中、
再び母から着信。
この瞬間ってマジで
言葉にでは言い表せない。
出た瞬間、
母の声。
「もしもし?」
その瞬間、
多分、自分でも
気づかないうちに
強張っていた体から
力が抜けて
緊張の糸が切れた。
状況を察し心配そうに
こちらの様子を窺ってた
運転手さんも
一緒に安堵してるのが見える。
なんでも
瞬間的に意識を失って
そのまま倒れて
覚えていないらしい。
意識ないって事は
受け身は当然取れないから
立っててそのまま
倒れた際に地面に
ぶつけてしまう。
んで、
意識戻った時には
倒れた方の擦り傷、
顔も打ってて
口の中も切れたし
顔も縫ったらしい。
不幸中の幸いで
意識が戻って最悪の事態には
ならなくてよかったけど
倒れた瞬間を本人は勿論、
意識がないから倒れてるし
周りの誰もその瞬間を見ていない。
頭を打ってる可能性がある
これが一番怖いし
安心はできない。
点滴を打って意識が
戻って
これから頭の精密検査で
その待ち時間で
とりあえず今は意識戻って
一報って事だった。
軽く話して電話を切ると
運転手さんが話しかけてきた。
「良くはないけど良かったですね!」
一番最悪の結果は回避して
色々この後のケアや問題はあるけど
とりあえず
そういう意味では一安心。
その運転手さんはいい人で
母より年上の人で、
「自分も東京に○○歳になる息子がいまして」
全然連絡よこさず、
1年に1回くらい連絡すると
「生きてるよ」とかぬかして
独り身で何してんのかわからない事
けど、いくら歳を重ねても
母親には心配して連絡してる事
そんな話から
男ってのは父親に対して
そんな心配ないくせに
母親はいくつになっても
心配して気にかけるのは
父親になる前の自分もそうだったし
どの時代、世代でも共通する
って話をしたりして、
運転手さんが
「お客さんも若いからこれからまだまだ…」
って言うから、もういい大人で
ある事を伝えると
「え?w声も若いし10代後半~20歳くらいかと!」
↑※ここ重要←
マスクしてて私服センスが
多分あれだとしても
流石に言いすぎだろって思いながら
「もういい歳こいて往生際だけ悪い親不孝者っす」
そんな会話をしながら到着。
総合病院なので
いくつかの課を
回って色々検査して
ずっと付き添って
待ってる時に
母には安静にしといて貰って
その間に支払い全部して帰宅。
その日の一回目の結果は
異常はなく、病気でもなく
季節の寒暖差や
外や室内の温度差
疲れやストレスなのど
色々重なると体調に出て
そうなってしまうらしい。
今回は、
不幸中の幸いで
こうなったけど
倒れ方が
たまたま悪くて
頭打ってたら
もっと重症だったり
最悪な事態に
なってた。
ここ数年で、今回の様に
意識失って倒れてしまう
まで行かなくても
何度かそういうのあったらしい。
言えよってちょっと思ったが
そうなると、未然にそうならない
薬とか具体的な対応策がないから
本人が感覚で「あっ。これは」
って感覚があるらしいから
そうなったら
まずはその場でしゃがんだり
座ったりする事
余裕があれば道の端で
そんな感じで止まる事を
これから意識する事、
多分もう何回か話して
本人にも分かってるけど
俺も口うるさく
言っていこうと思う。
その前の段階で
なるべくストレスや疲れを
貯めさせない様に
これまでも俺なりに
不器用ながら気を遣ってたけど
今まで以上に細かく気を配って
出来るだけ穏やかに楽しく
長生きして元気でいて欲しいし
親不孝者の社不の
せめてもの出来る事。
15の時死別した親父に
最後の前に
「あと頼むな」
あの一言
今でも忘れてない。
けど絶対、その言葉に
胸張って応えられるような
人生を歩んでないだろうし
出来てない。
だからせめて…。
今じゃ近い親族なんて
本当に少なくなって。
形的には姉弟となってるらしいが
俺は姉弟いないと思ってるので
色々積み重なって複雑なあれなので
(それとは関係なく甥と姪は
くっそ可愛いから可愛がってる)
事実上、肉親は
尊敬と感謝してる母だけ。
長い事、
わかってても
天邪鬼な俺だから
年々丸くなって、
感謝や尊敬を
俺なりに遠回りに
あれしてるけど
これからは
よる少しでも
伝わればいいなとも思う。
話が、長くなって
更に逸れてるかもしれない。
と今、思ったから戻す。
その数日後に抜糸行ったり
一週間後に改めて頭の検査で
何回か行って、
当日から一週間は、
どうしても変えれない
外仕事以外は
在宅の仕事を中心に
組み直して
調整してもらって
身の回りの事、
全部やって
動いてたい人なので
無理してなんかやらないか
監視しながら
安静にして貰って
当日から
今日で2週間くらい。
まだ、
後遺症が確率で言えば
出てこないだけで
0ではないし
完全に安心は出来ないけど
だからと言って
あれしてたら
日常に戻るの遅くなるし
何も出来ないので
少し元気戻ってきたし
しばらく変わらず
多少過剰に気にかけながら
って感じ。
痛々しい姿と出来事だったけど
俺もある種ショックではあるけど
母の方が口には出さないけど
女性であるし
色々ショックだろうけど
それを受け入れて、
変化に合わせながら
生きていかないと
だからね。
その先も今以上に
その時の出来る限りで
ケアしていく。
そんな感じで、
長くなったけど
話せる範囲のでの
経緯説明と
俺個人の周りの関係の人に
活度を通常ルートに
ぼちぼち
戻ってますよって
報告でした。
今のバンドのメンバーと
運営スタッフの頭の一人にしか
言ってなかったので、
遅くなりましたが
ご迷惑ご心配を
おかけしました。
p.s
世の中には
血が繋がっていても
悲しい事件や出来事や
複雑な問題があったり
血が繋がってなくても
本当の親子や兄弟以上の
仲良かったり絆があったり
その人にしかわからない事が
沢山ありますが
家族や恋人とか友達とか
みんなの周りの
大切な人だと思える
その人を大切に。
そして
これを見てくれた
皆さんも自分を大事にね。
何度経験してようが
してなかろうが
その瞬間に対して
慣れたくなんてないし
そもそも
会えないことに
会えなくなること
それに対して
強くなる必要なんてない
と俺は思っています。
けれど
こんな瞬間なんて
必ずいつかは来てしまう。
だから
頭でわかっていても
頭に置いているつもりでも
それが出来ていない時や
忘れてしまったり
薄れたりすること
あるけど、
世の中には
それにも気づけず
後悔する人も
沢山居るから、
フッとした瞬間
思い出せるような
「当たり前」という感覚を
捨てれる
気づける人でいたいね。
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